有限会社 拓商

沖縄の葬儀・葬式・法事
・家族葬を全てサポート

有限会社 拓商イメージ

昨今、核家族の増加、人と地域とのつながりの希薄化、またはコロナ禍の影響などで、身内だけで行う家族葬や小規模なお葬式が増えております。

 葬儀の形態も自宅での葬儀からお寺での葬儀に変化し、会館で葬儀をする時代に変化しており、その時その時の時代の変化に合わせて葬儀のあり方や形も常に変化してきました。

しかし私が約半世紀ほど葬儀業界をずっと見ていて感じることは、時代の変遷はあれど、葬儀の本質は全く変わっておりません。

葬儀の本質とは「人を想うこと」です。その想いはどんなに時代が変わっていても常に葬儀の現場で常に存在し続けています。

私たち葬儀社は「不易流行」という言葉があるように変えて良いものと変えていけないものを見定め、常に「いい葬儀とは何なのか。」を日頃から問答し常に考え続けなければいけません。

それが、私ども葬儀社が社会に求められている使命感です。

これからも弊社は更なる成長を追い求めながら、地域に求められる存在であり続けていきたいと存じます。


“怖い”から“ありがとう”へ──沖縄の葬儀を変えた 50 年。
「人類最高の仕事」を貫いた有限会社拓商の軌跡

創業のきっかけと創業当時の沖縄の葬儀文化

「創業当初のことは、それはもう鮮明に、昨日のことのように覚えています」。
そうゆっくりと話すのは、有限会社拓商・代表取締役の親泊元八(おやどまり げんはち)さん。

元八さんは当時を振り返りながら「あの頃はいつまで続けられるのか分からず、長い間“いつ消えるだろう”という不安を抱えながら過ごしました」と語ります。

長い不安を抱えながらも有限会社拓商は着々と歩み続け、2024 年にはなんと 50 周年という大きな節目を迎えました。

1974 年創業。日本復帰すぐの激動の時代に、ゼロからの挑戦

有限会社拓商が創業したのは 1974 年 9 月。沖縄が日本復帰を果たして2年が経った頃です。
当時の沖縄は転換期でありながら、なお混乱が続く時代。

翌年に開催される沖縄国際海洋博覧会に向けて景気回復を目指していましたが、現実は厳しく、
米軍基地の影響や本土との経済格差、失業率の高さなど深刻な問題を多く抱えていました。

そんな激動の時代の最中、友人から「花輪業を一緒にやらないか」と誘いを受けた元八さん。
造花で作った花輪を販売するというものです。

元八さんはまず「この仕事はどういう仕事で、どう発展するのか」を考えていました。
そして最初に浮かんだのは「この仕事は冠婚葬祭の一環である」ということ。

冠婚で喜ばれるイメージは湧くものの、葬儀で使われるシーンを思い浮かべた時には、少し抵抗があったそうです。

自宅葬が主流の時代。「葬儀」はタブーとされていた

というのも当時は今のような葬儀サービスはなく、自宅葬が主流の時代。身内が亡くなると親戚知人や隣近所の人が集まり、それぞれが手分けをして手配や段取りをして、ひっそりと葬儀を執り行っていました。

当時の沖縄にとって葬儀とは「家の中で静かに行うもの」で、死を“家の外”に持ち出すことは「怖い」「縁起が悪い」こととしてタブー視されていたのです。

興味が湧いた元八さんは、次に県内の葬祭業についてリサーチを開始。すると当時、沖縄の葬祭業は黎明期であることが明らかとなりました。火葬場やギフトショップはあるものの、サービス業として組織的に運営されている企業はほとんどなかったのです。

100 人中 100 人が反対!それでも「この仕事は人類最高の仕事」だと決意

この現状を受けて元八さんは、電話一本で手配~段取りまで、ワンストップで提供する葬儀社を起業することを決意。遺族が葬儀の手配と段取りに手を煩わせることなく、故人を悼む時間をゆっくりと過ごせるサービスは、将来必ず必要になると考えたのです。

「友人や知人にこの話をすると、100 人に言ったらしっかり 100 人が反対しました。
特に多かったのは『どうしてそんな仕事をするのか』というセリフ。

当時私は百貨店に勤めていたので、なぜ安定を手放して、いばらの道を進むのかと思ったのでしょう。
あまりにも人から『どうして』と聞かれるものだから、自分でも考えてみたんです。
この仕事は“どういう仕事”なんだろう、“何を”売っている仕事なんだろうと」

そこで思い至ったのは、この仕事は百貨店と同じく“おもてなし”の仕事であるということ。

さらにおもてなしの対象はモノやサービスではなく「人生の卒業式」であること。
そしてそんな重要な場を担う葬儀の仕事は、どの仕事よりも崇高で尊く「人類最高の仕事である」という結論に至ります。

大手百貨店に勤めていた元八さんにとって、葬祭業での起業は確かにいばらの道を進む決断でした。それでも葬祭業は、その覚悟に値する「人類最高の仕事」だという神髄に辿り着き、起業に踏み切ることにしたのです。

第 1 章:「人類最高の仕事」から始まった葬祭業

見本となるサービスはなく、友人 2 人も退職。波乱に満ちたスタート

友人 2 人とともに、那覇市国場にある約 7 坪の古民家の一角からスタートした元八さん。
これから業界を開拓していくという気概を込めて、会社名を【拓商】と名付けました。

元八さんは友人とともに、見本となるようなサービスがない中、沖縄の葬儀サービスを模索しました。
しかし自宅葬が強く根付いた沖縄で、大々的に葬儀文化を変えていくのは並大抵の仕事ではありません。

売り上げが思うように伸びない時期が続き、起業から 1 年経たずして友人 2 人は経営難や意見の相違によって退職してしまいました。共同創業者である 2 人が退職した後も、法人化のタイミングで 2 番目の協力者が現れたものの、相変わらずの経営難により、わずか半年で会社を去っていったそうです。

元八さんは当時を振り返り「本当に苦しい時期だった。辞めてしまいたいと思ったことも何度もあります」と語ります。

「実績もない、金もない、看板もない。すべてを“ないない尽くし”でした。その時唯一頼れるのは、百貨店で営業を積み重ねた経験のみ。『何でも売ってやろう』という気持ちひとつで奮闘した前職の経験だけが、私にあるものでした」

霊柩車のナンバーを緑に。県外の葬儀文化を導入するなど沖縄の葬儀を大きく改革

苦しい時期が続きながらも諦めずに奮闘する中、元八さんの開拓精神により沖縄の葬祭文化に大きく影響をもたらした出来事があります。それは、霊柩車の“緑ナンバー”の導入でした。

実は起業当時、県内を走っていた霊柩車は白ナンバー(自家用車や商用車に付けられるナンバープレート)のみ。

民間の火葬場が所有していたもののみでした。
当時、県外ではすでに霊柩車は緑ナンバー(事業用車両に付けられるナンバープレート)が主流でした。

そこで元八さんは、なんとか緑ナンバーの霊柩車を県内に走らせたいと考え、県外に出向いて導入方法を模索。行政機関をいくつも周り一心不乱に想いを訴えた結果、想いが届き、ついに県内で初めて緑ナンバー霊柩車の許可を取得することができたのです。

その後も元八さんは、社員の方と共に県外の葬儀社を見てまわり、県外の葬儀文化を次々と取り入れ、試行錯誤を続けながら拓商が請け負う葬儀の在り方を確立していきました。

第 2 章: どん底から V 字回復へ。原点回帰で地道に奮闘

業務提携の破断により実績も社員も半分に

世の中がどう変わるか分からない不安定な時代、そして沖縄県内に浸透していない「葬儀」という業界のハードルの高さ。沖縄の葬儀文化を少しずつ変革しながらも、相変わらず業績は上がりません。

社員数は 10 名以下、社員は入れ替わり立ち代わりで、売り上げも不安定な時期が 10 年以上続きました。
そんな時、拓商に大きな転機が訪れます。大手火葬場との業務提携が決まったのです。

業務提携により仕事は大きく拡大し、10 名前後だった社員数は、一気に 30 名以上へと増えました。

軌道に乗った瞬間は束の間、なんと提携告知からわずか 30 時間後に提携先から突然の契約
破棄を言い渡されてしまったのです。

「泣き寝入りするしかありませんでした。提携によって一気に軌道に乗ったと思った最中だったので、本当に悔しかったし、ショックでしたね。切り替えて、前を向くしかありませんでした」

「人頼みにしない」と原点回帰。残ったメンバーと力を合わせて V 字回復へ

提携が切られた後、業績は半分に落ち、32 名いた社員の内 14 名が退職。
元八さんはこの経験でつくづく「自分はひとりでやるしかない」と思ったのだと言います。

「共同経営である友人が手を引いた時、頼れるのは自分だけだと思い知ったはずなのに、気づけばまた提携企業を頼って成長しようとしていたんです。『人頼みにして仕事を増やしても仕方がない』とつくづく思いました。

もう一度原点回帰して、残ってくれた社員とともにイチから頑張ろうと一念発起したんです」そして残ってくれた社員に状況を説明し、「この状況だけどどうか共に頑張って欲しい」と改めて仕切り直しを試みた元八さん。

その想いが社員に届き、使命感に駆り立てられた社員と元八さんの反骨精神が実を結び、経営はみるみる V 字回復。
なんと提携破談から約 3 年で社員数は再び 30 名を超え、売上も提携時の水準を上回るまでに回復しました。

第 3 章: 創業当初から変わらないもの/変わったもの

葬儀も拓商も、時代に合わせて変化していく

拓商メンバーが力を合わせて奮闘している最中、時代も少しずつ変化を遂げました。
会館やセレモニーホールで葬儀をするのが当たり前の時代になり、葬儀を取り扱う企業も激増。

有限会社拓商も、続々と会館やセレモニーホールを増やしています。
また、コロナ禍以降には少人数の家族葬の流れも増え、葬儀には様々な選択肢が持てるようになりました。

元八さんが紡いできた拓商は創業から 50 年を迎え、次世代は息子さんの親泊元隆(もとたか)さんが継承を予定しています。ちなみに元隆さんはなんと元警察官!人の死を別の角度から見てきた元隆さんは、葬儀の仕事について、やはり「人類最高の仕事」だと表現します。

「大切な家族を亡くされて、悲しみの真ん中にいる家族のそばに寄り添って、これからの人生をサポートする、そんな仕事なのかなって思います。やりがいはどの仕事よりもあると思いますね

実は元隆さん、初めて葬儀の仕事に携わった時は、遺族の方がひどく号泣しているのを見て、無力感に苛まれたそう。

気の利いた言葉をかけることができなかった自分をどう捉えればいいのか分からずあの時どんな言葉をかけるべきだっただろう」とずっと考えてきたそうです。

ですが最近になり、やっとひとつの答えが出たとのこと。

「きっと“しっくりくる言葉”なんてなくて、寄り添うことが大事なのかなと思いました。無理に声をかけずに、ただ静かに、そばで悲しみを受け止めて寄り添うこと。それが僕たちの仕事なのと今は思います」

海洋散骨クルーズや県内初のエンバーミングなど、新たな取り組みも積極的に導入

「父が大切にしてきた人に寄り添う姿勢や人に対する想いはそのままに、葬儀の在り方やお客様の変化には柔軟に対応していきたい」との想いを持つ元隆さん。

最近では、新たな取り組みとして「エンバーミング」「海洋散骨」を導入しました。

エンバーミングとは、ご遺体を消毒・殺菌・防腐・修復し、化粧を施して生前の姿に近づける「遺体衛生保全」のこと。
これまで沖縄にはエンバーミングがなかったため、ご遺体を県外に送り、保全処置をしてもらった後に沖縄に戻すという手順が必要でした。

そんな折、元隆さんがエンバーマーの方と出会う機会があり、そこで「うちでやってください」と声をかけ、エンバーミングセンターの設置が決まったそうです。

また、海洋散骨は、火葬後の遺骨を粉末化し、海に撒いて供養するもの。

近年自然葬のひとつとして注目を集めており、海が好きな故人の希望や、なるべく予算がかからない方法で供養したい方、墓じまいの需要も多いとか。墓場や火葬場などの施設を必要としないことから環境への負荷が少なく、散骨後も命日にメモリアルクルーズで黙とうするプランも。

創業当初の開拓精神は、50 年経った今、“変化を恐れず新しいことにどんどん挑戦する”とい
う形で受け継がれているのです。

時代が変わっても大切な人を失った人の悲しみは変わらない

葬儀の在り方は時代とともに変化する中、「大切な人を失った悲しみは、どんな時代でも変わらない」と元八さんは話します。「毎日、悲しみでいっぱいの方と向き合っていると、涙が出る日も当然あります。

それでも出てくる涙をぐっと堪えながら一生懸命サービスしていると、こちらからは言わない『ありがとう』をお客様から言ってもらえることがある。その喜びは、百貨店の時とは比べものになりません。

時代に応じて柔軟に変化・挑戦しながらも、悲しみに寄り添う心は変わらず大切にし続けたいですね」と語りました。

結び: 未来のビジョンと、次世代に向けて

お葬式は、残された人の未来のためにも存在する

「お葬式はどうしても悲しいとか辛い場というイメージがありますが、
最近は“未来をつくる仕事”でもあるのかなと思うんです」
と元隆さんは話します。

「お葬式は、故人様のためでありながら、残された人たちのためでもある。
お葬式を通して、関わる人の人生を作るものでもあると思うんですよ。

故人様にこれまでの感謝を伝えつつ、これからも天国で見ていてくださいねと伝えて、また明日を頑張る。そういう想いが増えることで、世の中はもっと良くなるのかなって。今、世界を見渡すと戦争や宗教の対立など、争いごとが尽きません。

そんな時代にこそ、大事なのはやっぱり『人を想う心』なのかなと思うんです。
感謝や人生を見つめ直す機会であるお葬式は、もしかすると世界を救えたりするのかもしれないって思ったりします」

AI や IT の力を駆使した新たなサービスも展開

実は元隆さんは大学時代、工学部に所属しており AI や IT に強い関心を持っています。
この強みを活かして、最近はテクノロジーとのコラボレーションも模索中なのだと言います。

「たとえば今やっているのはプロジェクションマッピングを使った『メモリアルコーナー』。これは遺族からいただいた写真をひとつひとつ上映するものです。結婚式でよく新郎新婦の幼少期~今にかけての映像を流すと思いますが、それに近いサービスですね。

他にも写真に動きを付ける AI の機能を活用したサービスも最近やりはじめました。
これを使うと、例えば幼少期からの写真をお借りして、小さい頃から最近までの写真をひとつの映像として振り返ることができたり、亡くなった方が孫を抱っこしているような画像を生成できたりするんですよ」と元隆さん。

「葬儀業界はまだまだアナログが強い業界。だからこそ伸びしろがあり、テクノロジーを活用したサービスを作ることで、ご遺族の方々のこれからの人生と未来を、より良いものにするお手伝いができれば」と話しました。

すべての軸にあるのは「人類最高の仕事」

元八さんの座右の銘は「大胆細心・温故知新」。大胆でありつつも、新しいことの先に常に
ある危険には慎重に。

石橋を叩いて渡るが現状に満足せず、常に変化に適応すること。そしてこの地域の、沖縄の、あるいは日本全体にとってもっといい方法はないか、もっと大切なことはないだろうかと耳を澄ませ続けること。

そんな想いとともに「人類最高の仕事」は受け継がれていきます。

有限会社拓商の経営理念は「人類最高の仕事を通して、人と環境に優しく関わり、奉仕精神と真心を持ってお客様に喜ばれ、地域社会に貢献できることを最高の幸せとする。」

これまでも、これからも。
拓商が大切にしてきたのは、“人を想う心”です。

どんな時代になっても、葬儀という仕事が人の悲しみに寄り添い、その先の人生を照らすものであり続けるように。
50 年の歩みは、これからの 100 年へと静かに受け継がれていきます。

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