2025.12.26

沖縄軽便鉄道(ケービン)とは?歴史・路線・遺構スポットまで徹底解説

沖縄軽便鉄道とは?歴史・路線・遺構スポットまで徹底解説

沖縄の歴史を語るうえで欠かせない存在が、かつて島を走っていた「沖縄軽便鉄道(ケービン)」です。
名前は知っていても、「どんな路線だったのか」「どの地域を走っていたのか」「今どこに遺構がのこっているのか」ここまで詳しく知りたい方は多いはずです。

現在は廃線となりましたが、当時の姿を今に伝える遺構が各地に残っています。
本記事では、軽便の歴史・路線・車両の特徴から、現存する遺構の巡り方までをわかりやすくまとめました。ぜひ沖縄ナビのSNS投稿と合わせてご覧ください!

沖縄軽便鉄道とは?

沖縄軽便鉄道とは、明治〜戦前にかけて沖縄本島を走っていた小型の鉄道で、狭い幅のレール(762mm)を使う軽便鉄道と呼ばれる種類の鉄道です。一般的な鉄道よりも小規模な設備で運行でき、カーブや坂にも強いため、当時の沖縄の地形や予算事情に合った交通手段として導入されました。

沖縄では「軽便(けいべん)」がなまり、「ケービン」 と親しみを込めて呼ばれてきた。地元の人にとっては、買い物・通学・農産物の輸送など、生活に密着した日常的な移動手段であり、島の暮らしを支える大切な存在でした。

沖縄軽便鉄道が開業したのは1914年(大正3年)であり、那覇市を拠点に

・与那原線(那覇~与那原)
・糸満線(那覇~糸満)
・嘉手納線(那覇~嘉手納)

の3路線が順次延伸し、南部・中部の主要地域を結んでいました。しかし戦争による被害で壊滅し、戦後復旧されることなく廃線となりました。

そもそもなぜ沖縄に軽便鉄道が作られたの?

沖縄軽便鉄道

軽便鉄道が誕生した理由には、当時の沖縄の交通事情と経済状況が深く関わっています。
当時の移動手段は、馬車や徒歩が中心。舗装された道路はほとんどなく、那覇から糸満や与那原まで行くにも長い時間がかかっていました。人の移動はもちろん、農産物や生活物資の運搬にも大きな負担があり、効率的な輸送手段の整備が急務でした。

特に、南部の糸満では漁業、中部ではサトウキビをはじめとした農産物の生産が盛んで、農作物を短時間で港や市場へ運びたいという需要が高まっていました。観光目的ではなく、あくまで“生活を支える路線”として求められたのが軽便鉄道の始まりです。

また、明治末〜大正にかけての沖縄は近代化の波が押し寄せ、都市部を中心に人口が増加していた時期。物資や人の流れを支える新しい交通インフラとして、小規模で建設コストを抑えられる軽便鉄道が最適な選択肢とされました。こうした背景から、1914年に最初の路線が開業し、軽便鉄道は“沖縄の生活インフラ”として定着していきました。

沖縄軽便鉄道の路線図と走っていた地域

沖縄軽便鉄道は、那覇を中心に南部・中部へ伸びる3つの路線を運行していました。どの路線も生活圏や産業の中心地を結ぶ役割を担い、人や物資の移動を支える大切な交通網でした。

①与那原線(那覇 – 与那原)

開業:1914年(大正3年)
距離:約13km
主要駅:那覇、壺屋、国場、南風原、与那原

那覇から東海岸側の与那原までを結ぶ路線。
周辺には集落や市、港があり、通勤・通学、農産物の輸送で多く利用されていました。

② 糸満線(那覇 — 糸満)

開業:1915年(大正4年)
距離:約15km
主要駅:那覇、真玉橋、真地、東風平、兼城、糸満

漁業が盛んな糸満へ続く南部の重要路線。
糸満漁港で水揚げされた魚を那覇へ運ぶ“物流路線”として重宝されていました。

③ 嘉手納線(那覇 — 嘉手納)

開業:1917年(大正6年)
距離:約22km
主要駅:那覇、首里、石嶺、読谷、比謝川、嘉手納

那覇から中部まで伸びる最長路線。
サトウキビの積出し地として利用され、地域の産業を支える役割も大きかったとされています。

当時の様子がわかる!軽便鉄道の利用風景

沖縄軽便鉄道は、現代の鉄道とはまったく違う、どこかのどかな雰囲気に包まれた交通手段でした。速度はゆっくりで、最高でも時速20km前後。走り出すたびに「ポーッ」という汽笛が響き、小さな蒸気機関車が力強く煙を上げながら進んでいく姿は、当時の人々にとって日常の風景でした。

車内は木製の座席が並ぶシンプルな造りで、窓からは集落、畑、海風を感じる景色が広がっていました。揺れは大きかったものの、その素朴さが軽便鉄道らしさでもあり、地元の人々に親しまれていました。

料金は比較的安く設定されており、那覇から与那原や糸満までの所要時間はおよそ40〜50分ほど。徒歩や馬車では何時間もかかっていた移動が短縮され、生活の利便性が大きく向上しました。

利用する人々も幅広く、

・学校に通う学生
・農作物を運ぶ農家
・那覇へ商品を売りに出る商人
・軍関係の移動を行う兵隊

など、日本本土の鉄道と少し変わり、地域の“日常の足”として多くの人を乗せていました。
軽便鉄道は、ただの移動手段ではなく、当時の沖縄の暮らしと景色そのものを運んでいた存在だったのです。

沖縄軽便鉄道の特徴と呼び名

沖縄軽便鉄道で走っていた車両は、一般的な鉄道と比べると ひと回り小さなサイズ が特徴でした。レール幅は 762mmの“狭軌(きょうき)” と呼ばれる規格で、急なカーブや起伏の多い沖縄の地形にも対応しやすく、低コストで敷設できる軽便鉄道に適していました。

先頭を走る蒸気機関車はコンパクトながら存在感があり、丸みを帯びたボイラー、大きく動く連結棒、煙を力強く吐き上げる煙突など、クラシックなスタイルそのもの。客車も木造で、車体の両側にデッキがついたシンプルな構造でした。

沖縄では「軽便(けいべん)」という言葉がなまり、「ケービン」 と呼ばれるようになったとされています(軽便→ケイベン→ケービン)。この呼び名は県民に長く親しまれ、今でもケービンという言葉には懐かしさを感じる人が多いです。

乗客の間では、ケービン、ケーベン、汽車、などさまざまな呼び方が使われていたと言われ、当時の生活の中に自然と溶け込み、親しみが込められていました。

沖縄軽便鉄道が廃線になった理由

沖縄軽便鉄道が姿を消した最大の理由は、戦時中の空襲による壊滅的な被害でした。沖縄戦が激しくなる中で線路や橋梁、駅舎、車両の多くが破壊され、運行は完全に不可能な状態となりました。

さらに、軽便鉄道はもともと“簡易鉄道”として作られたため、レール幅も狭く、施設の耐久性も高くありませんでした。戦後の混乱期に膨大な費用や資材をかけて復旧することは現実的ではなかったという背景があります。

戦後になると、沖縄では急速に道路整備が進み、自動車やバスが主要な交通手段として広まりました。
特にバスは、
・初期投資が少ない
・路線変更が容易
・需要に合わせて運行本数を調整できる
といった利点があり、軽便鉄道よりも現代のニーズに合致していました。

また、沖縄本島の形状は細長く、主要道路が一本で南北に貫く地形です。このため、鉄道より道路交通のほうが効率的という判断がなされ、軽便鉄道の復活は見送られることになりました。こうした戦争被害・経済状況・社会変化が重なり、軽便鉄道は歴史の中で役目を終えることになったのです。

現在も見られる「軽便鉄道の遺構」マップ!

ネオパークオキナワ軽便鉄道

沖縄軽便鉄道は戦争で姿を消しましたが、今も各地に当時の面影を残す遺構が点在しています。形や規模はさまざまですが、どれも軽便の歴史を感じられる貴重なスポットです。ここでは、代表的な遺構をエリア別にまとめました。

■ 那覇市|壺川ガーター橋(最大の遺構)

沖縄軽便鉄道の遺構として最も知られるのが、那覇市壺川に残るガーター橋(ガーター桁橋)。頑丈な鉄橋の一部がそのまま残されており、鉄道が走っていた時代の構造を間近で見ることができます。現在は公園整備も進み、写真スポットとして人気です。

■ 糸満市|糸満停車場跡

糸満漁港近くにある軽便の終着駅跡。駅舎自体は残っていませんが、案内板や碑が整備されており、糸満線の歴史を知ることができます。周辺には市場や散策スポットも多く、軽便跡めぐりに最適です。

■ 嘉手納町|嘉手納駅跡

かつての中部エリアの主要駅。今は遺構としての形は少ないものの、当時の駅の位置を示す碑や記念表示が残されています。周辺の読谷・嘉手納地域はサトウキビ産業が盛んで、軽便が輸送の要だったことが伝わります。

■ 南風原町・与那原町|与那原駅跡

復元駅舎が建てられ、「軽便与那原駅舎(資料館)」として公開されています。軽便鉄道の写真・資料・模型などが展示されており、軽便の歴史を最も分かりやすく学べるスポットです。駅舎の雰囲気も当時の姿をイメージして再現されており、撮影にも人気となっています。

観光で巡る場合は、Googleマップに「軽便」「与那原駅舎」「壺川ガーター橋」などと入力すれば簡単にルートが表示されます。車移動が中心の沖縄では、レンタカー旅との相性も良いスポットばかりです。

軽便の歴史が学べる資料館・保存会

軽便鉄道の歴史をより深く知るなら、資料館や保存活動を行う団体を訪れるのが一番です。現存する遺構だけでなく、写真・地図・模型などの記録から「当時の軽便」を立体的に理解できます。ここでは、軽便を学べる代表的なスポットと活動を紹介します。

軽便与那原駅舎|軽便を学ぶなら外せない資料館

南風原町と与那原町の境に復元された駅舎で、戦前の軽便鉄道の雰囲気を再現した施設です。内部は資料館として整備され、軽便の歴史に触れられる展示が充実しています。

● 展示内容
・当時の駅舎を再現した空間
・車両や駅周辺の写真資料
・路線図や運行記録
・軽便鉄道の模型・説明パネル
・当時の切符や道具類
写真が多く、軽便の“生活の中の鉄道”としての姿がよく分かる展示内容です。

● 開館時間
・開館時間:9:00〜17:00
・休館日:月曜日・祝日・年末年始
見学時間は30〜45分ほど。歴史好きだけでなく、家族連れや観光客にも人気のスポットです。

沖縄県公文書館|貴重な軽便資料がまとまる場所

南風原町にある沖縄県公文書館には、軽便鉄道に関するさまざまな公式記録・写真・図面が保存されています。

● 見られる主な資料
・路線図・工事計画書
・駅舎や車両の写真
・運行記録・行政文書
・戦前の沖縄の地図(軽便のルートも記載)
館内のデジタルアーカイブで閲覧できる資料も多く、研究目的の人にも利用されています。

軽便文化保存会|軽便の記憶を残す活動

沖縄軽便鉄道に関する資料保存や調査を行う団体。
地域住民や有志によって運営され、次のような活動を行っています。

● 主な取り組み
・軽便鉄道に関する写真や資料の保全
・失われた駅跡・路線の調査活動
・地域での展示会・講座の企画
・復元駅舎や記念碑の整備協力
・若い世代へ向けた“軽便の記憶”継承活動
大規模なプロジェクトというより、地域全体で軽便を残すための活動という性質が強く、地元の歴史文化を守る重要な役割を担っています。

沖縄軽便鉄道の豆知識・トリビア

軽便鉄道には、歴史だけでなくちょっとした小ネタも多く残っています。ここでは、知っていると軽便巡りがさらに楽しくなる豆知識を紹介します。

■ ケービン音頭が存在した
軽便鉄道が親しまれていた時代には、「ケービン音頭」と呼ばれる民謡調の歌も作られていました。地元の祭りで歌われることもあり、ゆったりとしたテンポのなかに軽便の情景が描かれています。軽便が生活の一部だったことが分かる文化的な存在です。

■ 切符はシンプルな紙製で味わい深い
当時の切符は小さな紙片で、地名が印刷されただけのシンプルなデザインでした。厚紙の切符やスタンプが押されたものもあり、今では資料として貴重な存在。資料館では実物を見られることもあります。

■ 速度はおよそ20km/h前後ののんびり運行
軽便鉄道の速度は時速20km前後。現代の自転車より少し速い程度で、揺れも大きく、のどかな雰囲気が漂っていました。汽笛の音や蒸気の匂い、外の風景をゆっくり眺められる“旅情ある移動手段”だったと言われています。

まとめ

沖縄軽便鉄道は、単なる交通手段ではなく、戦前の沖縄の暮らしを支えた大切なインフラでした。小さな蒸気機関車がゆっくりと島を走り、人や物が行き交う日常を支え続けてきた生活の鉄道。その役割の大きさから、今でも多くの県民にとって特別な存在として記憶に残っています。

現在、軽便鉄道は廃線となりましたが、壺川ガーター橋や与那原駅舎など、当時の面影を残すスポットは各地に点在しています。遺構や資料館を巡ることで、沖縄の歴史や文化をより深く感じることができ、旅行者にとっても魅力的な体験となるでしょう。

軽便鉄道は、沖縄の「過去」と「今」をつなぐ貴重な歴史遺産です。
本記事をきっかけに、遺構巡りや資料館で“軽便の時代”に触れながら、沖縄の豊かな文化や歩んできた道のりをぜひ感じてみてください。

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この記事を書いた人

Nanase / 沖縄ナビ®編集部
Nanase / 沖縄ナビ®編集部
ふとしたきっかけから沖縄でゲームに没頭し、ポケモンカードの公式大会で2大会優勝。沖縄代表として全国大会に連続出場しています。
ゲーマーならではの視点で、沖縄に暮らす皆さんの日常がもっと楽しくなるような情報を発信していきます!

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