
沖縄の那覇市に佇む首里城は、かつて琉球王国の王都として、政治・外交・文化の中心的な役割を果たしてきました。
中国と日本、そして東南アジア諸国を結ぶ海洋交易の要所としても栄え、その独自の建築様式や文化は、今も多くの人々を惹きつけています。
特に、2000年に世界遺産に登録されたことで、首里城は世界的にもその価値が再認識されるようになりました。
そして、2019年の火災によって再び正殿が失われた後も、多くの支援と想いを受けながら再建へと歩みを進めています。
この記事では、首里城の歴史的背景や建築の魅力、焼失と再建の軌跡、そして現在の復元プロジェクトの様子まで、くわしく紹介していきます。
首里城の軌跡

首里城は、1429年に琉球王国が確立されて以来、政治・外交・文化の中枢として栄え、琉球王国の王城としてその歴史と文化を象徴する存在でした。
首里城は大きく内郭と外郭に分かれており、内郭は15世紀初頭、外郭は16世紀中ごろに完成したとされています。
琉球王国とは?
琉球王国は、1429年から1879年までの約450年間にわたって日本の南西諸島に存在した王制の独立国家で、独自の文化と政治体制を築きました。
もともと琉球諸島には約3万2千年前から人類が暮らしていたことがわかっています。
12世紀頃から、按司と呼ばれる地域の豪族たちが各地で争いをはじめますが、1429年に尚巴志がこれらの勢力を統一し、琉球王国を建国しました。
1609年に薩摩藩が琉球に侵攻し、首里城を占領。これにより琉球王国は、中国の支配下に置かれながら、実質的には薩摩藩と江戸幕府の支配を受けるという、特殊な体制の中で国家を維持していくことになります。
しかし、明治維新を経て中央集権を進める日本政府は、1879年に軍を派遣し、当時の国王・尚泰を追放して、沖縄県の設置を宣言しました。これにより、約450年の歴史を持つ琉球王国はその幕を閉じました。
首里城の建築様式
首里城は、中国と日本それぞれの築城文化が融合した、独自の建築様式が特徴です。特に、石組み技術には高い文化的・歴史的な価値が認められています。
なかでも正殿は、琉球王国で最大の木造建築で、国王が政治を行い、さまざまな儀式を執り行う中心的な建物でした。正殿前の広場では、王国の重要な儀式が数多く行われていたとされています。
南殿は日本の儀式や薩摩藩からの使者の接待の場として使われており、北殿は王府の行政を担う施設であると同時に、中国皇帝からの使者を迎える役割も果たしていました。
また、首里城の城内は東西の軸に沿って配置されており、正殿をはじめとする主要な建物は西側を正面として建てられている点も、首里城ならではの特徴です。
首里城焼失と再建の歴史
首里城は長い歴史のなかで、琉球王国時代に3回、それ以降に2回、合わせて5回の焼失を経験しています。特に沖縄戦では、戦前に国宝に指定されていた正殿を含む主要な建物が焼失しました。
戦後は跡地に琉球大学が建設されましたが、大学の移転後、復元への取り組みが本格的に進められました。
1986年には国の国営公園整備事業の一環として首里城の再建が決定され、1992年には正殿などが復元されて、首里城公園として開園しました。
しかし、2019年10月に再び火災が発生し、正殿をはじめとする主要な建物が焼失するという大きな被害を受けました。
その後、国内外から多くの支援が寄せられ、2022年11月には正殿の再建工事が本格的に始まりました。現在は、2026年の完成を目指して復元作業が進められています。
このように、たび重なる焼失と復興を経てなお、首里城が沖縄の人々の思いと努力によって守り継がれてきたことは、その文化的・歴史的な価値の大きさを物語っています。
首里城の歴史年表
1429年 尚巴志が三山を統一し、琉球王国が誕生
1453年 志魯・布里の乱により首里城全焼
1660年 正殿などが全焼
1672年 首里城再建
1709年 首里城が焼失
1712年 首里城の再建を開始、1715年に完了
1853年 ペリー提督が首里城を訪問
1872年 琉球藩を設置
1879年 沖縄県が誕生、琉球王国が崩壊し首里城を明け渡す
1925年 首里城正殿が国宝に指定される
1928年 首里城正殿の改修が始まる
1933年 歓会門・瑞泉門・白銀門・守礼門が国宝に指定される
1945年 沖縄戦により首里城が焼失
1950年 首里城跡に琉球大学ができる
1958年 守礼門復元
1972年 沖縄県が日本本土に復帰
1986年 国営公園として首里城が復元整備されることが決定
1992年 首里城公園の正殿など一部が開園
2019年 火災によ主要な建物が焼失
2000年 世界遺産に首里城跡が登録される
2022年 再建工事が本格的に始まる
参考:okinawatimes.co.jp/
正殿の復元工事を見学できる

引用:oki-park.jp
現在復元が進められている首里城正殿。その建設現場を風雨や埃から守るために設置された「素屋根」の内部には、工事の様子を間近で見学できる特別なエリアがあります。
見学エリアは、正殿と同じく3階建ての構造になっており、各階から復元工事の様子を間近で見ることができます。
さらに、工事の進行状況を紹介する解説パネルや、火災後に残された部材、復元に使われている木材などを展示したコーナーもあり、首里城の復元に関わるさまざまな工夫や技術を体感することができます。

引用:oki-park.jp
世界遺産登録の背景と意義

2000年に首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。
この登録は、沖縄に根づく独自の歴史や文化が、世界的にも高く評価された瞬間であり、同時に琉球王国が果たしてきた国際的な役割があらためて認識された出来事でもあります。
琉球王国は、東アジアの中でも特異な存在でした。中国の明・清王朝と冊封関係を結びながら、日本の薩摩藩の支配も受けるという、極めて複雑な外交的立場にありました。
そのなかで、王国は独自の文化を磨き上げ、東南アジア諸国との交易を通じて、海を舞台とする豊かな国際ネットワークを築いていきます。
その中心地であった首里城は、単なる王の居城ではなく、政治・文化・外交・宗教のすべてを担う、琉球王国の象徴としての役割を果たしていました。
世界遺産として登録されたことで、そうした歴史的背景や建築様式の価値が国際的に認められ、未来に向けて継承していく責任もあわせて私たちに託されたのです。
首里城跡の世界遺産登録は、沖縄が歩んできた複雑な歴史と、そこに生きた人々の誇り、そして今なお続く文化の息吹を世界に発信する大きな意義を持っています。
首里城の基本情報
住所 | 沖縄県那覇市首里金城町1-2 |
電話番号 | 098-886-2020 |
営業時間 | 【4月〜6月、10月〜11月】 無料区域 8:00~19:30 有料区域 8:30~19:00 【7月~9月】 無料区域 8:00~20:30 有料区域 8:30~20:00 【12月〜3月】 無料区域 8:00~18:30 有料区域 8:30~18:00 |
定休日 | 7月第1水曜日と翌日(一部の施設) |
入場料 | 【一般(20名未満)】 大人400円・小人 (小・中学生)160円 【団体(20名以上)】 大人320円・小人 (小・中学生)120円 |
アクセス | 那覇空港から車で約50分 ゆいレール「首里駅」から徒歩約15分 |
駐車場 | 有料 116台 |
Googleマップ | https://maps.app.goo.gl/fYQdK5PvDeGLKYkU9 |
公式サイト | https://oki-park.jp/shurijo/ |
世界遺産 首里城まとめ
首里城は、琉球王国の歴史と文化を象徴する重要な遺産であり、中国や日本、東南アジアとの交流を通じて形成された独自の文化の中心地でした。
その建築や配置、儀式の場としての機能などには、琉球独自の政治と文化のあり方が色濃く反映されています。
幾度となく焼失しながらも、そのたびに復元され、現代に引き継がれてきた首里城。2000年の世界遺産登録は、その文化的・歴史的価値が国際的に認められた証でもあります。
現在は2019年の火災からの再建が進行中であり、その様子を見学できる貴重な機会にもなっています。
正殿をはじめとする建物が再び完成するまでの過程を直接見ることができるのは、今しか体験できない特別な時間です。
歴史にふれ、復元の現場を間近に感じることで、首里城が持つ本来の意味や価値をより体感できるでしょう。
ぜひ首里城に足を運び、その歴史と文化、そして再建の現場を、自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。