
久高島のイシキ浜で海を眺めたとき「これが水平線なんだ」と思いました。
目の前に広がる海と、その向こうに続く空。
ガイドの西銘政秀さんは海のかなたにあるニライカナイについて話してくれました。久高島では「ニラーハラー」と呼ばれる世界です。
「ニライカナイ」という名前は聞いたことがあっても、島の人々がそこへ何を願い、どう祈ってきたのかまでは知りませんでした。太陽の方角やお墓の向き、浜の石を使う祈りについて聞くうちに、その背景をもっと知りたくなりました。
現地で聞いた話とあわせて読んだのが写真家・比嘉康雄さんの『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』です。
久高島の祭祀や暮らしを記録したこの本には、海の向こうの世界や太陽と月、生活に欠かせない火や水を人々がどう捉えてきたかが記されています。
この記事ではガイドさんから教わったことに本の記述や祭祀の記録を重ねながら、実際に島を歩いて私が感じたことを綴ります。

ニライカナイは海の向こうにある「始まり」の世界
イシキ浜で聞いたニライカナイの話は目の前の海を眺める私の気持ちを変えました。美しい景色の向こうに、人々が神や命の始まりを思ってきた世界があるというのです。
沖縄では海のかなたにあるニライカナイから神々が訪れ、豊穣や恵みをもたらすと考えられてきました。
比嘉さんは久高島でいうニラーハラーを「始原の地」として読み解いています。命の始まりに関わり、死者の魂が帰っていく世界でもあるといいます。
本にはニラーハラーから神船に乗って訪れる神の上陸地としてイシキ浜が紹介されています。
イシキ浜の前に広がるのは遠浅の海です。その浅瀬の先に深い海があり、さらに遠くには水平線が見えます。
島の人々が祈りを向けてきたのはその海の向こうです。
ニライカナイがあるとされるのは太陽が昇る東の海の向こう。自然や太陽を大切にしてきた久高島だからこそ日の出の方角に神の世界を思うことには大きな意味があったのではないでしょうか。
海のかなたへ祈るということも私には新鮮でした。あの水平線の向こうを思いながら実りや無事を願ってきた。浜に立って話を聞くと、島の人たちがこの海を大切にしてきた気持ちが少し分かるように思います。
久高島の島創りや五穀伝来の伝承についてはなぜ久高島は「神の島」と呼ばれるのか|琉球王国・祈り・暮らしから読み解く久高島で紹介しています。
昇る太陽と沈む太陽に重なる生と死

太陽の方角について考えるきっかけになったのは、お墓の前で聞いた話です。
日の出だけでなく日が沈む方向にも人の生と死に関わる意味がありました。
ガイドさんによると、島のお墓は基本的に西を向いているといいます。東は太陽が昇り人が生まれる方向で、西は太陽が沈み死に関わる方向なのだそうです。
お墓の向きにまで太陽への考え方が表れていることが印象に残りました。毎日繰り返される日の出と日没を人の一生にも重ねてきたのです。
比嘉さんの本では葬る場所と魂の行き先についても考察されています。
比嘉さんはかつての葬送や葬送歌を手がかりに、死後の魂が東のニラーハラーへ向かうという死生観を考察しています。一方で葬所があるのは西側です。魂の帰る場所が東ならなぜ西に葬るのでしょうか。
その関係を比嘉さんは太陽の循環から読み解いています。西に沈んだ太陽は地中を通って再び東から現れる。魂もその道筋をたどって東の世界へ至るという解釈です。
西に沈むことを終わりとするだけでなく、再び東から昇ることまで考える。比嘉さんの解釈を読むとガイドさんから聞いた生と死の方角も太陽が巡る道筋として捉えられるように思います。
なぜ久高島は「神の島」と呼ばれるのか|琉球王国・祈り・暮らしから読み解く久高島で紹介したように、首里から見て太陽が昇る方角に久高島があることは島が聖なる場所とされた理由の一つとされています。
“お墓の向き”にも“王府が大切にした島の位置”にも太陽が関わっている。そのことからも太陽が人々の暮らしや信仰の中でどれほど大切にされていたのかが伝わってきます。
太陽と月の光に実りと健康を願う
太陽への祈りは方角だけの話ではありません。
比嘉さんの本には天から届く光そのものに命を守る力を見いだしてきた人々の姿が描かれています。
朝の光に家族の健康を願う
比嘉さんによると、久高島では太陽をこの世に生命力を与える存在として捉えてきました。
とりわけ日の出は太陽の守護力が強い時間とされ、家族の健康を願う祭祀もその時間に行われるといいます。
朝になれば光が届き、植物が育ち、人もまた一日を過ごす。その当たり前のように思えることが命を支えています。太陽を大切にする気持ちには毎日の暮らしの実感もあったのではないでしょうか。
旧暦八月十五夜の月への祈り
そして実は月への祈りについても具体的な祭祀が紹介されています。
本に記された旧暦八月十五夜に始まる月神への祭祀では、穀物から造った濁酒などの神饌を供え、穀物の豊作と神女たちの健康を願います。
比嘉さんは一年の中でもこの満月の夜は月の守護力が最も充実すると考えられていたと記しています。久高島ガイド友の会の年中行事の解説にも旧暦八月十五日に健康を願う「月の祭り」が紹介されています。
月の美しさを眺めるだけでなく、その光が満ちるときに食べ物の実りや人の健康を願う。取材で私が強く意識したのは太陽でしたが、夜の月にも命を守る力が見いだされていたのです。
書籍の中では太陽や月と祖霊の違いにも触れています。
ニラーハラーの神々や祖霊は人々と同じ次元の存在として捉えられる一方、太陽や月は別の次元にある尊い存在だと説明しています。地上に降りたり人に憑依したりするのではなく、天から届く光に守護力を見いだすというのです。
海の向こうの神々を島へ迎える祭祀と、天から届く光に命を守る力を願う祭祀。神々との関わり方にもこうした違いがあるのです。
クバの木と葉も祈りの中にある
海や空へ向ける祈りには島に生える植物も関わっていました。その一つが久高島に多く自生するクバです。
クバはヤシ科のビロウのこと。久高島は「クバ島」とも呼ばれてきました。島の重要な聖地であるクボー御嶽(フボー御嶽)の名前も周辺にクバが生い茂ることに由来すると紹介されています。
比嘉さんの本にも御嶽に生えるクバは神の木として記されています。島の植物と祈りの場との関わりが、その呼び名にも残っているのです。

クバの葉は祭祀の中でも使われてきました。
東京文化財研究所が公開する1978年のイザイホーの記録には神女たちがクバの葉の上に正座し、ニライカナイの方角である東を向いて歌う場面が残されています。
葉を敷き、その上に座って海の向こうへ祈る。クバは神聖な木として大切にされるとともに、祈る場を整えるためにも使われてきたのです。
イザイホーや祈りを担う女性たちについては久高島の女性たちが受け継いできた祈り|オナリ神・ノロ・イザイホーをたどるで詳しく紹介します。
海の恵みを受け取り、海を畏れる
海の向こうに神の世界を思う一方で、海は日々の食べ物を得る場所でもあります。
その身近な海を越えた先には人の力ではどうにもできない外洋が広がっていました。
サンゴ礁の海とその先の外洋
比嘉さんは食べ物を採れる遠浅の海を、かつての島の人々が陸の続きとして捉えていたと記しています。サンゴ礁に囲まれた海は魚介類を得る生活の場でした。
その外に広がるのはどこまでも続く先の分からない海です。沖へ出るようになった人々は未知の海の恐ろしさを知り、大海を司る神の存在を考えたのだと比嘉さんは読み解いています。
食べ物を得られる身近な海と、自分の力が及ばない外洋。その両方と向き合う暮らしがあったと知ると、海への感謝と畏れを切り離すことはできないように思います。
毎年やって来るイラブーは神からの贈り物
海の恵みの具体例がウミヘビのイラブーです。本によるとイラブーは産卵期に島の海岸へ寄ってきます。
毎年一定の時期に姿を現すイラブーやアイゴの稚魚であるキスクは「ユイムン」と呼ばれる寄り物として、神から贈られたものと考えられていました。
海から食べ物を得て暮らしてきた島の人々にとって、たんぱく源となるイラブーは体を養う大切な恵みだったのではないでしょうか。燻製にすれば保存もできる食べ物が毎年海からやって来る。「神からの贈り物」という言葉には食べて生きることへの感謝も込められているように思います。

イラブー漁と加工、暮らしとの関わりは「島はみんなのもの」久高島の総有地|土地・集落・祈りがつながる暮らしで紹介します。
年の初めに願い、年の終わりに感謝を伝える
ガイドさんからは年の初めに神を迎えて願い、年の終わりに感謝を伝える祈りも教わりました。
イシキ浜で行われるウプヌシガナシーには、旧暦二月の「御願立て」と十二月の「御願結び」があります。久高島ガイド友の会の解説では、二月に健康や航海の安全を願い、十二月には二月に授かった守り石を浜へ返すと紹介されています。
私の心に残ったのは、願いを伝えたあとも年の終わりに同じ海へ向き合うことでした。
食べ物を得て、海へ出る人が無事に帰り、その一年を振り返って感謝を伝える。願いをかけるときと祈りを結ぶとき。その両方が一年の暮らしの中にあるのです。
恵みをもたらす海が人の力ではどうにもできない場所でもある。その両方を知っているからこそ無事を願い、受け取った恵みを大切にしてきたのではないかと思います。
家の火や毎日の水も神として祀る
祈りの対象は海や太陽のような大きな自然だけではありません。
比嘉さんの本の「暮らしの中の神」には日々の生活を支える火や水、便所や屋敷も神として祀ってきたことが記されています。
例えば火の神は、かまどを使わなくなってからもガスコンロのそばに置いた香炉で祀られていました。生活の道具が変わっても毎日煮炊きする火を大切にすることは続いていたのです。
水についても井泉ごとに祭祀を担う人が決まっており、かつては「ウブレーシン」という水の神を祀る神職者がいたといいます。
本には沖縄本島から水が送られるようになる以前、女性たちが水を汲んでいた暮らしも描かれています。日照りには水を確保する苦労がありました。水を祀るということの背景には、毎日の水を得る切実さもあったのだと思います。

食べ物を煮炊きする火や、生きるために欠かせない水を神として祀る。香炉を置き、祈りを担う人を定める。生活を支えてくれるものを大切にしていたことが、そうした行いからも伝わってきます。
遠くのニラーハラーを思う祈りも、家の火や毎日の水への祈りも、食べて生きることや家族が無事に過ごすことに関わっています。そこには祈ることにあまり馴染みのない私にも分かる温かさがありました。
「神の島」という言葉のその先を知りたい

私は当時の人々が、願いと自然を大切にしていたのではないかと思います。
穀物が実ってほしい。子どもが健やかに育ってほしい。家族が無事に一年を過ごしてほしい。そうした願いを太陽や月、海、身近な火や水に向けてきた。「神の島」の話は、そこで生きてきた人々の暮らしの話でした。
「神の島」という言葉にひかれて久高島を訪れることも入口の一つだと思います。
その先でなぜこの海へ祈ってきたのか、どんな思いで木や水を大切にしてきたのかを知ると、目の前の景色の受け止め方も変わるのではないでしょうか。
ガイドさんの話を聞き、本を読んでから、思い浮かぶのはイシキ浜で見た水平線です。
あの海の向こうに何を願ってきたのか。海のむこうへの祈りが今も心に残っています。
参考資料・取材
比嘉康雄『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』集英社新書、2000年。
東京文化財研究所「ニラーハラー遥拝とアリクヤー」(1978年12月17日のイザイホーの記録)
ジャパンサーチ「久高島の歴史と文化」(南城市教育委員会の公開資料などを紹介)
法政大学公開資料「『久高島方言辞典』福治友邦・加治工真市共著」出版のために(「クバジマ」の項)
取材:2026年9月24日、西銘政秀さんへの現地ガイド取材。久高島内での現地取材・撮影。
2026.10.20

